151 「ドロドロの、からだが、どこまでも、沈み込む、が、生き、息る」

「らんる曳く」(佐々木中河出書房新社、2013年) 

 73年生まれの作家、哲学者、理論宗教学者佐々木中(あたる)さんの小説。タイトルの「らんる」が「襤褸」のことなら、「ぼろぼろの衣服をひきずる」というほどの意味でしょうか。

 帯にある「災厄の日から二年」「『震災以後』恋愛小説の決定版!」に誘われました。「これが文学ってものか! 文学ってものを何とか読み終えることができたぞ」と満たされたので、よかったのですが、初読では、百数十頁にもかかわらず、単語の意味をつかめず、すいぶん手こずりました。おかげさまで、日本語には、こんな形容詞、副詞、名詞、動詞があったのか、と教えられ、生きているうちにそれに触れることができて、悪い気はしませんでしたし、再読は、かなり流れがよくなりました。

 単語だけでなく、以前、途中で放り出した、樋口一葉の「たけくらべ」を思わせる息の長い文は、ぼくの脳の短い差し渡しではなかなか届きませんでしたが、二回目を読み終えるころには、リズムにも少し慣れ、ロングブレスをぼちぼち楽しめるようになりました。

 「この国のものは、すぐにだらしない評伝になる。息を忍ばせて、聞き取り、通い詰め、資料の埃をていねいに払うような、根の詰め方がたりず、すぐ息切れて、とりとめも埒も益体もないような、述懐や詠嘆や、とってつけた浅慮に逃げる・・・」(p.102)とありますが、この小説は、まさに、息を殺して、髪、目、口、空、水、森、木、川、光から、聞き取り、ていねいに見とり、色や音、匂い、形、動きを、述懐や詠嘆や浅慮に逃げず、根を詰め、長い息で描いています。それは、とくに、光と水について、顕著ですが、それゆえに、両者の自由な行き来、交換があるように感じました。水は汚水でもありますが、きらめきでもあるのです。

 主人公は二年前に妻を失くした東日本の男。「水は濁る。水は殺す・・・この身のほとんどは水なのに、水にせめられて、人は死ぬ」(p.120)。

 その男が知人に住いを提供され、京都へ。饂飩(うどん)を食い、とりあえずの衣を買い、髪を整えることから。

 ふたりの女と知り合い、キスなどをします。ひとりは、幼いころから、果実ばかりを食べてきて、それが体内で熟れたような、東京出身の大学教員。もうひとりは、「生まれた時から、この古都のかたすみで、眞珠のつぶを呑まされて育った」ような肌の(p.126)薬学部生。果実と真珠とはなんでしょう。

 舞台は、京都、鴨川の三角州、糺(ただす)の森、下鴨神社。その意味はなんでしょう。

 坂口安吾の思想的後継者と目される、と聞き、にわかに「堕落論」を読んでみました。

「戦争中の日本は嘘のような理想郷で、ただ虚しい美しさが咲きあふれていた。それは人間の真実の美しさではない」。東日本大震災直後の「絆」「がんばろう、日本」プロパガンダが思い出されました。「除染、やってます」の目指すところが「嘘の理想郷」でなければ良いのですが。

 「未亡人はすでに新たな面影によって胸をふくらませているではないか・・・人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない」。「未亡人」とは、漢字だけから言えば、男にも使って悪くないかもしれません。

 「らんる曳く」にも「べったりねばく、垢染みして、汚れていくことこそが、その(生きていることの=引用者)うらがなしい証左か」(p.10)とあります。

 「遠い。とおい。どうしたら、どこまでしたら、一体この部屋を出られるんだ」(p.12)とは、妻に死なれた男の闇。
 
 では、どうしたらよいのでしょうか。「おのれの影が、にわかには信じ難くあしもとに小さくまとまる。それをつれていくしかない」(p.78)。

 死を引きずるしかありません。しかし、引きずることは、生の営みなのです。「腐れていく先は骸(むくろ)という。のなら、はじめから糞を喰え。はじめから襤褸(ぼろ)を曳け・・・訣別を思うには早い、新しい道のりの前にいる。あやまちの道のりの。これから、どうなるかは、わからない。また、喪うかもしれない。/でも、生きてなくては、ならないよ」(p.136)。「あやまちだけが知る、いのちのふかさがある」(p.133)。

 すべてを失った者には、すべては果敢(はか)なく、すべては虚しいのでしょうか。いや、そうではありません。死者に聴きましょう。「図らずも死に臨んだものは、残していくものたちに、諸君の生はこの通りむなしいなどとは、言いはしない」p.135)。

 眞珠の素肌の佳子が「糺の森」の由緒書きにある応仁の乱の件を読み、言います。「この森もお社もみいんな燃えて、全部かは知らんけどとにかく燃えてしもて、それをまた作りなおそうとしたゆうことやろ。そういう人たちがおったゆうことやろ。なんぼ焼けても、なんぼ焼かれてもな。それはええな。/とても、よろしいな」。


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