映画「謝罪の王様」(脚本:宮藤官九郎、主演:阿部サダヲ、2013年)
拉致者の消息が知れず、反日の火が消えないのは、郷土に侵略し、人々を奴隷とし、殺し、財を奪いつくしたことを、国家、国民として、非道なことをしてしまったと心から反省し、誠実に謝罪し、それを国家・国民の精神としないからではないだろうか。そうすれば、多くの問題が好転し、助かる命も少なくないと思う。
「謝罪の王様」はコメディ映画。そんな厳粛なことは言っていない。けれども、クドカンは、やはり、あちこちにしかけている、あるいは、しかけているように見える本を書く。「謝罪の王様」とは「謝罪をすることにおいての名人、達人」ということだけでなく、「王が謝罪をする」という意味を感じてしまう。
たまたまかも知れないけど、NHKの朝ドラ経験者もずらり。「あまちゃん」の宮藤官九郎、荒川良々、野間口徹(岩手のテレビ局の人)、「こころ」の阿部サダヲ、「おひさま」の井上真央、「カーネーション」の六角精児、尾野真千子、濱田マリ、「梅ちゃん先生」の高橋克美・・・
さて、互いにつながりあういくつかのエピソード。暴力団に脅される話では、謝罪のテクニックが、芸能人夫婦の謝罪会見の話では、謝罪すべき本当の相手が、ラーメン屋のお湯切りの湯がほおにかかった話では、本当は誰が謝罪すべきなのかが描かれているように思った。
最後の国と国の話では、謝罪における文化の差、受け取りようの違い、そして、求められているのは「土下座外交」ではなく、じつは・・・・というメッセージが伝わってくる。
おかしい(^O^)。腹がよじれる。おもしろい。m(__)m