「井上ひさしの読書眼鏡」(井上ひさし著、中央公論新社、2011年)
誰もが名前を知りながら読んだと言う人はほとんどいない大江健三郎の小説「「自分の木」の下で」「取り替え子(チェンジング)」「憂い顔の童子」。
「研究社シェイクスピア辞典」「日本史事典」などの非常に専門的な辞典・事典類。
細川護貞「情報天皇に達せず」、五百旛頭(いおきべ)真「戦争・占領・講和」、ハーバート・ビックス「昭和天皇」といった戦争・敗戦・天皇などに関わるもの。
大野晋「日本語の教室」、山本麻子「ことばを鍛えるイギリスの学校」などの言語についてのもの。
小熊英二「<民主>と<愛国>」などの若手による現代史もの。
2000年代前半に出版された本について、井上ひさしがシャープに論じている。
書物全体の特徴をしっかりとつかみ、それを示すようなディテールを巧みに切り出し、作者や作品との深い対話を感じさせる数十の書評。
巻末には義姉、米原万里全著作の書評がまとめてありますが、これは新鮮でした。米原さんが、国や社会についてそんなに鋭く見抜き、同時に、千もの小噺のストックを持ち、そんなにおもしろい本を書いていたとはつゆ知りませんでした。読みたい本がまた一挙に増えました。
井上さんは米原さんの書いた書評についても触れ、「その全生涯にわたって米原万里は本を読み続け・・・・惚れ抜いた本にだけ書評を書く。力強い文章も、また核心を鋭く見抜く焦点の深さ・・・」と書いていますが、これはまさに、井上さん自身のことでもあります。天才は天才を知る、ですね。
藤沢周平さんについてのエッセイが本書の結びです。「蝉しぐれ」の中に「はかない世の中」という言葉が何度も出て来るが、この作品には突き抜けたような明るさがある、その一因は、「じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える」「西にかたむいてもまだ暑い日射しが河岸通りに照り渡り」といった描写にある、というように、さすが井上さんと思わせる観点が示されています。
けれども、その直後に、小説に出て来る男女について、藤沢さんに直接「つまり、二人は体を重ねあわせたんですね」と訊いたら、迷惑顔で「さあ、わかりませんね」と返され、後悔している、という、これまた、じつに井上さんらしい、読書にまつわるエピソードで、この本は締めくくられています。