83 「わかっていない、ということをわかる」

「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」(田崎晴明朝日出版社、2012年)

 原子力は現代の「荒ぶる神」であるから、ヨーロッパの原発は神殿に模されている。内田樹さんがこのように述べています。

 「荒ぶる神」の「荒ぶる」とは、ときに人間の手ではどうしても宥めることのできないほどにそこらのものを破壊し尽くすことを意味しますが、原子力が「神」にたとえられるのは、大破壊がいつ起こるのか予測できないばかりでなく、そもそも、それがどういう存在なのか、人間にはわからない、人間は原子力のことを知りえないからでしょう。

 放射線はどのように危険なのか、今の日本の放射線レベルが危険なのか安全なのか、人間の生命にどのような影響を及ぼすのか、何かを断定することは不可能だと思います。

 危険も立証できない、安全も立証できない、わからない。このような状況で、わたしたちがとるべき態度は、これは危険な可能性が大だから、できる限り慎重に取り扱わなければならない、というものではないでしょうか。何かをするにあたって、安全性が立証されなければなりませんが、何かを中止するには、危険性の立証ではなく、その可能性で十分なのです。

 本書の著者は、福島の原発大事故によって、健康を損なう人が著しく増加することはないだろう、チェルノブイリの時のような子どもたちの大量被ばくはなかった、パニックや大騒ぎを引き起こす必要はない、と述べています。

 けれども、どうじに、キノコを自分で採取して食べたり子どもに食べさせたりするのはやめよう、長期的な健康被害が起こらないとは断言できないので内部被爆を避ける努力は必要、放射線との闘いは始まったばかり、地域によっては内部・外部被爆の状況を長期的に測定し、食品の管理を続けなくてはならない、3・11にものすごいことがおこり、その余波が続いていて、戦後最大の難関である、とも警告しています。

 そして、放射線について何がわかっていて、何がわかっていないのかを知ったうえで、自分で判断して生きるしかない、その際には、放射線を「気にする自由」も「気にしない自由」もおたがいに尊重しつつ、「最良の未来」を目指すべきことを訴えています。

 「わかっていない」ことがたくさんある、そして、そこには危険なこともありうる、このことを「わかる」。これが放射線についての、基礎中の基礎知識だと思います。