ニューと名付けられ、つい数十年前に始まったばかりの町々が、ずいぶんとさびしくなっているらしい。
いや、古い町の商店街からも、八百屋や魚屋がなくなり、飲食のチェーン店や携帯ショップが開店・閉店を繰り返すばかり。
エンディング・ノートが商品になる時代だ。
重松の小説にはいつも死が出てくる。今回は死者だけではない。
あと半年で閉校になる、かつての新設高校に二学期から赴任した非常勤講師。作家は四十過ぎのこの男にレッツ・ビギンと叫ばせる。
重松は形容詞の泉であり、動詞並べの職人だ。
その場面の大道具・小道具や、一言で言い切ってはならない人物の内面、その留保、躊躇、付帯条件、コンプレックスを描くためのセンテンスを、作家はいったいどれだけ生み出すことができるのだろうか。
いくつもの出来事を準備し、それが巻末の出来事に結晶するようにと、仕掛けを埋め込みつつ、配置していく熟練の技。
これらに支えられたメッセージ。けれども、それは「最後まであきらめないでがんばりませう」というような標語とは一線を画している。
「西の空に沈みかけた夕陽が、最後のひとふんばりで僕たちをカッと照らす」(p.298)。
あれもダメ、これもダメ、自分にも、世の中にも未来が見えない。終わりが漂う中、沈みかけるボクは・・・。
夕陽は、夜を潜り抜け、朝陽になる。どんな一日になるかは見えないけれども。