60 「初めから「負けている」のである」

「フォトエッセイ 希望の大地 「祈り」と「知恵」をめぐる旅」(桃井和馬著、岩波書店、2012年6月6日)

 桃井さんの写真は絵なのでしょうか。それとも、フェルメールの絵が写真なのでしょうか。

光、闇、空間、そして、そこにたたずむ人を描き出したその一枚は、ぼくには、絵でもあり、写真でもあると言うしかないようなものです。

 原子力発電所を稼働し続けてまで、ぼくたちは二十四時間、電気の照明の中にいなければならないのか、そんなに闇を避けていて、光が見えるのか。桃井さんの写真と文が問いかけてきます。

 しかし、それは、答えを知っている教師の諮問、勝者による詰問ではありません。

 「空間自体が「意志」を帯び、時には鼓動し、呼吸しているような錯覚」「古来、人々は肌でこうした感覚を感じ取り、それが畏怖・畏敬へと繋がっていった。無駄が多く、暗い空間は、「何もない空間」ではなく、「何かがいる空間」だったのだ」(p.71)。

 「人間など到底かなわない存在がその領域には「いる」、または「ある」のだから、聖域では肩肘を張る必要はない。頑張る必要もない。初めから「負けている」のである」(p.72)。

 世界の闇と光を歩き続けている桃井さんは、ぼくらは世界に負けていることを、そして、負けていてよいことを誰よりもよく知っているのではないでしょうか。世界は、勝って、征服しなければならない相手などではなく、ぼくらを負けさせてくれる場であることを、桃井さんの写真と文は物語っています。そして、その負けを認めないあり方には勝つべき、克服すべき、変えるべきだと伝えているのだと思います。

 プロフィールには、ノンフィクション作家とありますが、桃井さんは、目に見える事実の綿密な列挙に加えて、世界、空間、闇、光の深奥を探る詩人なのかもしれません。