(32)「不正を行う」

6:6-8

6:8ところが、それどころか、あなたがたは、不正を行なう、だまし取る、しかもそのようなことを兄弟に対してしているのです。

 コリントの教会では分裂があり、不正やだましあいがあったようです。自分が性的な快楽を得るために隣人をモノのように扱う者、ひたすら物欲を満たそうとする者、人の悪口を言う者、人のモノを力づくで自分のモノにしようとする者(9-10節)もいたのでしょう。けれども、これはコリントの教会だけのことではありません。よく考えてみますと、わたしたちの生きている社会、職場、学校、地域、家庭、そして、わたしたちの教会さえもこのようなこととまったく無縁であるとは言い切れないのではないでしょうか。さらには、わたしたち自身の中にも、こんなに激しくはなくても、隣人に対して完全には誠実でない部分、不誠実な部分があるのではないでしょうか。パウロのこの言葉は、わたしたちに深い反省を促すだけでなく、そのかなたには、少しでもそれを克服しようとする生き方、誠実な人間関係を求めようとする生き方のゆたかさ、喜びを指し示しているように思います。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)