40  「今度は奥田さんが来てくれるのでうれしいです」

「もう、ひとりにさせない」(奥田知志)

 表題の言葉を読んで、ぼくは泣きました。「これまで刑務所を出る時、迎えに来た人はだれもいません。今度は奥田さんが来てくれるのでうれしいです」(p.45)。

 キリスト教徒が「社会派」と「教会派」に分かれているように考えられている時期がありました。今もそういう傾向は残っているようです。

 奥田さんはホームレスの人びとと絆を作ろうとしていますし、この人びとの置かれている状況を社会の構造の中で分析していますし、社会的な行動を起こしたり、行政に働きかけたりしていますから、「社会派」ということになるのかも知れません。

 けれども、奥田さんが、たとえば、上の言葉の主と出会い、訪ね、語りあい、待つ姿は、まさに牧会者です。奥田さんは、自分は羊飼い、彼は羊、などとは思っておられないでしょうが。しかし、奥田さんが彼と向き合う姿は、社会的な文脈以外の文脈で、わたしたち牧師が誰かと向き合おうとする姿、そうありたいと願う姿そのものなのです。ですから、彼は、いわば、立派な「教会派」でもあるのです。

 「〜〜派」などという言葉は使うべきではありませんでした。奥田さんがホームレスの人びととつながろうとする姿勢は、教会の牧師が教会につらなる一人一人の前でとるべき姿勢そのものです。

 この本によって、牧師の社会問題への取り組みと、自分の教会員などの牧会のあいだの隔たりは乗り越えられたと言っても過言ではないでしょう。

 奥田さんは、一人の人間を社会の仕組みの中で見ますが、その人を「社会問題」として見ているのではなく、人として見ています。奥田さんは「問題」と取り組もうとしている以前に、人と出会おうとしているのです。

 この本のもうひとつ大切な点は、人が人と関わろうとする時の「痛み」「苦しみ」を重要なテーマとして取り上げていることです。これまで、対人支援の方法や理論についての書はたくさん出ていますが、人を支えようとする時に、たがいの間に生じる「傷」を人と人との「絆」として捉える考察や神学、信仰が一冊の本のメインテーマになったことはなかったと思います。
 奥田さんは、社会の「仕組み」の中で傷つく「ひとりの人間」と向き合うことを描き、そして、そこに、福音、インマヌエル、赦し、十字架と復活の意味を見いだしています。

 とくに、十字架が、人と出会う時の「傷」という文脈で説き明かされています。

 この本は、人との出会いというコンテキストで聖書を読もうとする人びとには最適の一冊でしょう。これほど見事に今の日本での福音の意味を描いている本は見当たりません。

 ぼくはできれば、高校の授業や教会の読書会でも用いたいと思っています。

 以下に、先日、高校の礼拝で話したものを貼り付けます。

 皆さん、おはようございます。今から五年ほど前、それは12月30日のことでしたが、74歳のおじいさんが刑務所から出てきました。けれども、誰も迎えに来てくれません。刑務所を出ても、そこから帰る家がありません。おじいさんは、仕方なく、外をさまよい、野宿をし続けました。

 世の中は、年末、おおみそか、そして、お正月、楽しげで、人恋しい季節です。おじいさんはどんなにさびしかったことでしょうか。一月七日、おじいさんは、JRのある駅で火をつけました。放火です。駅を燃やそうとしたのです。

 おじいさんは、また警察に逮捕されました。74年の人生のうちで、11度目の逮捕です。このおじいさんは、74年の人生のうち、50年間を刑務所で過ごしてきたそうです。

 このことが新聞記事になりました。刑務所を出所まもない74歳の男、駅で放火。理由はまた逮捕されて「刑務所に戻りたかった」と。

 放火は重い罪です。人を殺してしまう場合だってあります。放火は決して許されることではありません。

 けれども、先ほどの新聞記事を、一人の牧師さんが読みました。奥田知志(おくだともし)さんという牧師です。奥田さんは、このおじいさんとは一面識もありませんでしたが、比較的近くに住んでいたこともあってか、警察署に行き、このおじいさんと面会しました。

 面会室に出てきたのは、弱々しいひとりのお年寄りでした。奥田さんが話を聞くと、やはり、「刑務所に戻りたかったから、放火をした」ということでした。社会に出ても誰も迎えに来てくれない。世の中ではひとりぼっち。それなら、いっそのこと、刑務所へ。あそこなら少なくとも誰かがいる。おじいさんはそんな苦しい気持ちを抱えていたのです。

 奥田さんが、放火でなくても、もっと軽い犯罪でも、刑務所に戻ることはできたのではありませんか、と尋ねると、おじいさんは、シャツをめくり、お腹を出して、こう言いました。

 「小学生の時、お父さんの言いつけを守らず遊んでいました。夜中お父さんに風呂のたき口に連れて行かれ、火のついた薪をお腹に押し付けられました。あれ以来、火を憎むようになりました」。彼のお腹には大きなやけどの跡が残っていました。

 放火は決して許されることではありません。けれども、許されないことをしてしまった背景には、この方の子どものころからの大きなお腹のやけど、そして、さらに大きな心の傷があったのでした。

 奥田さんはおじいさんの身元保証人になることを決めました。この放火の罪を償うには十何年か刑務所に入らなければなりません。けれども、今度、このおじいさんが刑務所から出てきた時は、奥田さんは自分が刑務所の出口にまで迎えに行きます、と裁判で証言したのです。

 奥田さんとおじいさんは裁判の間も手紙を交わしました。それは60通にもなりました。おじいさんが奥田さんに出す手紙には毎回こう書かれていました。「これまで刑務所を出る時、迎えに来た人はだれもいません。今度は奥田さんが来てくれるのでうれしいです」。

 裁判の最後の日、これまでの裁判では「刑務所に戻りたい」と繰り返していた、このおじいさんが、今度は、はじめて、刑期を終えた後は「社会に戻りたい。奥田さんのところに行きます」と裁判官の前で証言しました。

 検察側は懲役18年を求めていましたが、この74歳のおじいさん、裁判が終わる時は76歳のおじいさんには、懲役実質8年の判決が出たそうです。

 このお話しは奥田さんの本、「もう、ひとりにさせない」「もう、ひとりにさせない」という本に書かれています。読みやすく、心があらわれる本です。ぜひ読んでみてください。

 おじいさんは現在服役中ですが、あと五年、84歳になったおじいさんが、刑務所を出る時、奥田牧師が出口で待っていることでしょう。いや、刑務所の中にいる今日も、おじいいさんは奥田さんが自分と一緒にいてくれると信じていることでしょう。

 先ほど、「神がともにいる、イエスがともにいる」という聖書の言葉を読みました。奥田牧師は、神が自分とともにいてくれる、イエスが自分とともにいてくれると信じるから、自分もこのおじいさんと一緒にいようとするのだと思います。

 そして、自分は神さまの代りではないけれども、イエスの代りではないけれども、自分が一緒にいることで、このおじいさんに、あなたはひとりではない、神さまがいっしょにいる、イエスが一緒にいる、というメッセージを、伝えようとしているのだと思います。