(4)1:13-17 「キリストが分割されたのですか」

1:13キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。


 「私はパウロに」「アポロに」「私はキリストにつく」(1:12)と争う人々に、パウロは「キリストは分割されたのか」と問いかけます。キリストを切り分けることができないように、キリストから召された人々から成り立つ教会も、自分たちは「誰の派だ」と分かれてはならないと言うのです。パウロは続けます。「あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか」。キリストは神の子であり、パウロ、アポロといった人間の一人に数えてはならない、わたしたちのために十字架にかかってくださったのは、この神の子なのだとパウロは訴えます。バプテスマ(洗礼)もこれと同じことです。人間はあくまでキリストによって用いられる道具であり、洗礼はキリストによってなされるのです。十字架も洗礼も、人間ではなく、神の子キリストがなされること、だから、どの人間につくかと分裂するのではなく、人間を超えたキリストによって一致しようとパウロは願うのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)