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1:4-9 「どんな賜物にも」

1:7その結果、あなたがたはどんな賜物にも欠けるところがなく、また、熱心に私たちの主イエス・キリストの現われを待っています。


 「どんな賜物」、これは、富や才能、健康をみなが等しく手にしているということではありません。むしろ、コリントの教会の一人一人はそれぞれ違った恵みをいただいていて、そういう者が何人も集まって、教会全体として見れば、あらゆる恵みに満ち溢れている、というような意味だと思われます。ところが、じっさいは、コリントの教会の中には分裂が起こっていました。そして、パウロは、キリストを信じる者がどのような生き方をすべきかを考え直すことによって、イエス・キリストが教会を分裂から一致へと導いてくださる、と願っているのです。それは「主イエス・キリストの現れを待っています」という言葉に表れています。「誰でも神さまから恵みを受けている。一人の恵みは小さくつまらないものに思えても、皆がそれをもちあって一つに組み合わせるともっとすばらしい。皆が一つになるその真ん中にこそイエス・キリストは現れてくださる」とパウロは考えるのです。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)