25 「どれだけ殺されても殺されない何かが残る、と言ってしまうには」

普天間よ」 大城立裕

 沖縄について何かを書くことは、とても緊張します。沖縄の人々、歴史、風景などをほとんど知らないばかりか、知ろうとして少しだけ学んだことについても、浅くしかわかっていない、あるいは、間違って理解してしまっている、そういう思いを振り払えませんし、振り払いたくないし、振る払ってもいけないと思うのです。
 
 もちろん、沖縄のことだけでなく、親しい人であれ初めて会う人であれ、そもそも、他者のこと、他の人の気持ちをどうも誤解したり、勝手に思いこんだりしている、気持ちだけでなく、客観性の高い情報についてもきちんと把握できていない、こういう思いはずっとあります。

 本を読むときも、ニュースなどで世界や社会のことを知ろうとするときも同様です。他者、他なるものを正しく理解できない人間だと自分のことを感じています。また、正しく理解したつもりになることは、「他者」であるはずのものを「自分」にしてしまう気がしてなりません。けれども、また、他者を把握したいというか、他者について何かわかりたい、何か言い表したいという欲望や、そうしたつもりのときの快楽を捨てられないのです。

 沖縄はわたしにとって、他者の最たるものです。沖縄について何もわかっていない、もっと学びたい、何かを語るべきではない、語らないことでしか、沖縄という他者への尊重を示せないように思うのです。

 けれども、今回、この短編小説集を読んだので、語る、というよりも、メモを残しておきたいと思います。

 この小説は、沖縄戦でどれだけ多くの人びとが殺されたか、しかも、日常的というか、分刻み、秒刻みで殺されていったかをありありと描いています。あるいは、殺されるまでの期間も、生き残った人々も、極度の飢え、死の恐怖、身を隠す場所の不在などで、どれだけ苦しい目に遭ったかも、おもく伝えています。

 どうじに、それにもかかわらず、一見その場には無縁に思える行為を通して生きのびた人々や、戦場では無化されると思われる金銭に執着する人々など、殺されたり、つぶされたりしない人々についても語られています。

 戦場が米軍基地に変わっても同じです。この書の最後の作品として収められた「普天間よ」の終局が印象的です。伊野波節をテープレコーダーの歌三線にあわせて踊っていると、ヘリコプターの爆音が数分間にわたってそれを消します。

 「操縦士の米兵は年が幾つくらいだろうか。妻か恋人かがいるだろう。それを忘れるほど操縦に専念しているあいだに、わたしは恋人に熱中している女の思いを踊った。途中であなたは私の思いを奪ったかに見えるが、私は奪われなかった」(p.279)。

 みごとです。これぞ文学です。

沖縄の作家の小説の沖縄女性だからこう語れるのだと思います。

 沖縄の人々はどれだけ叩きのめされても、それでも、そこから立ち上がる、わたしにはこう言うことはできません。わたしがそう言ってしまえば、殺された人々、今打ちのめされている人々を冒涜することになりそうです。わたしがかろうじて言うことは、じつに多くの人々が殺され、今なお押しつぶされている、ということです。「 」、必死で生きている人々がいる、ということです。

 ここに「が」という接続詞を入れることができるのは、沖縄の人だけです。