ちかごろ、寝不足というわけでもないのに昼間から眠かったり、首のうしろの凝りが抜けなかったりのところ、電車で広告を見て、吸い込まれるようにポチしてしまいました(^^;; この本、読んだら、頭の血流がよくなるかも、と欲情しながら。
この手の本はいつもそうですが、肝心の指の刺激法は20頁ほど。あとの130頁は、大きな行間で、ようするに、指と脳はつながっていますよ、ということが、手を変え品を変え、書かれていました。
でも、おもしろいこともいくつかありました。
「高齢者が怒りっぽくなるのは、“理屈が理解できなくなり、理性のコントロールができなくなること”が原因」。
たしかに。ぼくは、幼少のころから短気でしたが、二十代に温厚化の努力をし、それなりの変化もありました。けれども、その後、とくに、ここ数年、やはり、どんどん怒りっぽくなってきていますね。ただ、こちらの理解力のせいで相手の言っていることが理解できない場合だけでなく、相手の説明力がひどいせいでこちらが理解できない場合も、怒りが湧いてきますね(^^)
「『ミネラルウォーター』のペットボトルは中身の水の感触を楽しんでくださいということなのか、あるいはぐっと指先でにぎりこむことで中身が出てくるようにということなのか、とても薄くやわらかい素材でできています。ランニングしながら片手でも、水分補給する人もいるからでしょう」
ちっとも知りませんでした。考えても見ました。薄くてやわらかいことだけは知っていましたが。
「いきなりシャッターを切るのではなく、まずは五感を刺激してあげましょう」「いきなりパシャリ、ではなく、まずは感じてください」
ぼくの場合は、ああ良いなあと感じるからカメラを向けるのですが、それは良いとして、「あげましょう」はいかがなものかと。ひとつは、これは自分より下位と見なす相手に「してやる」という表現をややおとなしくいっただけで、傲慢さは変わりませんし、もうひとつは、これを、自分の体の部位に使うのには違和感を感じますね。この場合は傲慢ではないかも知れませんが、「〜してあげる」は、自分の外部に用いる言葉ではないでしょうか。
「男性は論理的に話すことで、脳の一部しかつかっていませんが、女性は感情のままにしゃべるので脳のいろいろな部位をつかいながら会話をしています」
こういうわけ方が正しいか、どうか。ただ、多くの場合は、こういう仕訳は、女性蔑視を含んでいますが、ここでは、むしろ、男性の脳の使い方の拙さを述べているのがおもしろいですね。
ぼくも、論理的に話してくれないからわからない、とか、こいつは論理的に話すことができないんだなとか、いらいらするのですが、じつは、ぼくの脳がまわっていないということだったのだなと教えられました。
「相手の話を受け止め過ぎない。聞き役に徹しない。話すことが大事」。
目から鱗です。相手の言うことに耳を傾けよう、とか思っています。ただし、その抑制がなくなり、しゃべるタイミングを見つけると、かなりしゃべりますが。でも、すぐに、向こうに押し返されることも少なくありませんけど。嫌なこと、不快なことを言われたと思っても、受け止め過ぎないことは、たしかに、よさそうです。
「入浴しながら、口角を上げたり、口をすぼめたりなど、表情筋のトレーニングをやってください」
口角ってどこ?とネットで調べるくらい、口角を上げていないことに気づきました。