(16) 「親の愛をあまり感じられずに大人になった人のための親」

 子どもには親の愛が必要だ。親は子どもを叱るばかりでなく、愛することが大切だ。それが子どもの成長にはひじょうに大事なことだ。書き出してみたら、どこでもよく言われるようなことなのですが、大学生のころ、こんな主旨の講演を心をひどく揺さぶられながら聴いたことがあります。

 幼いころから父によく激しく怒鳴られたり、ときには、刃物をつきつけられたり、水で窒息させられそうになったりした記憶が浮かび上がってきました。怖かった、もっと優しくされたかった、もっと愛されたかったと痛感しました。

 講演の終わりにある人が手をあげて質問しました。「先生はそう言われますが、じっさいに親が子どもをそんなに愛してくれるでしょうか。親の愛を受けないまま大人になってしまった者はどうしたらよいのでしょうか」。

 講師が答えました。「それだからこそ、神さまがおられるのです。親が不完全な人のために、神さまは親となり、あなたを愛するのです」。

 最初の大学はろくに通わず、二年で中退し、他の大学に一年から入り直そうと思いました。そのことを書いた手紙を父に出し、どきどきして待っていると、返事が届きました。「おまえがそう決めたのなら、そうしたらいいよ」。

 「ぼく、仮面ライダーになる!」「ママがおばけになっちゃった!」などの絵本作家、のぶみさん。ご両親は牧師さんで忙しく、ほとんど遊んでもらえず、子どものころは部屋にこもって絵本や漫画を読んで過ごしました。寂しかったそうです。勉強は苦手、いじめも受け、死にたいと思ったこともあります。中学では引きこもり、高校では荒れて、警察沙汰に。署に迎えに来たお父さんからはビンタ。けれども、署を出ると何も怒らず、ラーメンを食べさせてくれました。(じつは、ぼくもこのお父さんからごちそうになったことがあります。ある会議の帰り、ぼくの落胆を察してくださったのか、「駅ビルでご飯を食べましょう」とお誘いくださいました)。お父さんの口癖は「神様は見ているよ」。七年間絵本が売れなかったときも、そう思って過ごしたそうです。

 聖書によると、イエスは神を父と呼びます。それは、自分の根源は神さまだということでしょうか。あるいは、自分という存在のもとをずっと辿っていった先に予感される根源を、神あるいは父と呼ぶということでしょうか。イエスは自分の言葉や生き方、存在を通して、弟子たちや人びとに、根源なる神、父をなんとか伝えようとします。

 そして、わたしたちがたとえひとりきりになってしまったように思える時でも、この父がともにいてくださるから、大丈夫だ、勇気を出そう、と励ましているのです。