「ロシア的人間」(井筒俊彦、中公文庫、1988年)
もともとは1940年代後半に慶應義塾大学の通信教育部の教科書として印刷されたものという本書には、トルストイ、ドストエフスキー(本著ではドストイェフスキー)、ツルゲーネフ(同じく、トゥルゲーネフ)、チェーホフ(チェホフ)、ゴーゴリー、プーシキンという名前が並んでいますが、表面的知識だけをなぞった文学史ではありません。井筒さんはこれら19世紀ロシアの作家を通底するテーマを見ています。
ぼくがこの書を知ったのは、批評家・若松英輔さんの「井筒俊彦 叡智の哲学」を通してのことと覚えています。若松さんのほとんどの著作には多くの人びとが出てきます。「霊性の哲学」には、井筒俊彦、鈴木大拙、柳宗悦、吉満義彦、谺雄二、山崎弁栄らが、「生きる哲学」には、須賀敦子、原民喜、堀辰雄、リルケ、神谷美恵子、ブッダ、宮澤賢治、フランクル、そして、ここにも井筒俊彦が登場します。共通するのは「哲学」です。しかし、それは、論理や知識、用語としての哲学史ではなく、「叡智」であり「生きる」なのです。
NHKテレビテキストの「100分 de 名著 内村鑑三 『代表的日本人』」は若松さんが内村の著書を説き明かしたものですが、その「代表的日本人」には、西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮らが出てきます。しかし、この本の主役はこの五人ではなく、彼らを超えた存在、「天」である、と若松さんは述べています。
同じように、井筒さんの「ロシア的人間」を貫くものも、目に見えないものなのです。若松さんが本著に霊を吹き込まれていることは、つぎの一節からもわかります。
「(ロシア文学が)私の魂を根底から震撼させ、人生に対する私の見方を変えさせ、実存の深層にひそむ未知の次元を開示して見せた。この意味で、十九世紀のロシア文学の諸作品は、どんな専門的哲学書にもできないような形で、私に生きた哲学、というより哲学を生きるとはどんなことであるかを教えた」(p.318)。
「実存の深層にひそむ未知の次元」を、さきほどの「天」「彼らを超えた存在」「目に見えないもの」と置き替えても、文意をおおきく損なうことはないでしょう。若松さんの書名の「生きる哲学」は、井筒さんがここで述べている「生きた哲学」「哲学を生きる」に他ならないことでしょう。
ロシアの詩人たちも「実存の深層にひそむ未知の次元」に触れます。プーシキンは「遠い山巓が空の青さに溶け入るあたり、永遠の光栄が眩しく光り輝く彼方」(p.118)を見、レールモントフは「遥かな星辰のきらめく彼方、地上の彼方なる国」(p.131)にはげしく思いを募らせ、チュチェフは「宇宙の根柢、存在の最深層を直感的に把握」(p.177)した、と井筒さんは熱い筆を進めていきます。
小説家となれば、トルストイとドストイェフスキーです。彼らの文学は、「人間という宇宙の謎に関してロシアが吐き得た最高の、そして恐らくは最後の、言葉」であり、彼らは「ただひたすらに『人間』を探求した」が、「その人間探求は必ずじかに神の探求につながっていた」(p.229)と井筒さんは説き明かします。
トルストイには、自然主義、自然体験を通しての「宇宙的生命との直接の接触とでもいうべき一種異常な体験がある」(p.252)と言います。
ドストイェフスキーも、「忘我奪魂の瞬間に偶然」「永遠の至福」を「垣間見」(p.275)た経験は何度かあるのですが、彼は、それなしでもそこに到達できるのではないかと期待してキリスト教に赴いたと井筒さんは指摘しています。
その入り口は原罪だと言います。しかし、それは個人の罪ではなく「自分の犯した罪ではなくて、自分の犯さない罪」であり「全人類の、全存在の罪」であり、「あらゆる人間、あらゆるものが、それぞれ自分の罪の負目を担うのでなく、自分以外の、すべての人、すべてのものの罪を一身に負わなければならない」のですが、このことは、「人が自分ひとりの自意識的外殻を踏み破り、自己を突き抜けて宏大な全体的連関の中に踊り出ることにならないだろうか」(p.297)と言うのです。「自我の固いしこりが解け、自我に死にきった彼は、全宇宙とともに広い罪の大海の一滴となって甦る」(p.298)と言うのです。
原罪を経由していたるこの「甦り」は、「忘我奪魂の瞬間に偶然」に「垣間見」た「永遠の至福」あるいは「実存の深層にひそむ未知の次元」に、さらには、神そのもの、永遠そのものに他ならないのではないでしょうか。