135 「作家・大友憤の生み出すブン」

音楽劇「それからのブンとフン」 (作:井上ひさし、演出:栗山民也、こまつ座ホリプロ、天王洲・銀河劇場、2013年10月)

 生きているうちに、一冊でいいから、自分で書いた本を出版してもらいたい、と願っている。この音楽劇を観た直後の今は、それが芝居の脚本だったら、もっと良いと思っている。

 さて、ブンとフン。憤先生の小説の主人公、大泥棒ブンは、本のページを抜け出し、どんなものでも・・・シマウマの縞や偉い人の権威までも・・・盗み出す。やがて、本の発行部数とともに、一人だけでなく、地球上の・・・いや月面にまで・・・あちこちに大勢のブンがあらわれ、これまでの常識とはまったく違う、すっかりひっくりかえされたような新しい世界が展開し始める

 それに危機を感じる連中は、悪魔と手を組む。また、増殖したブンの中からは、オリジナル・ブンとは似ているようで、じつは、正反対の考え方をし、オリジナルを抹殺しようとする者も出て来る。

 憤先生も投獄され、ブンももはや・・・。けれども、先生は、指先を噛み、血を流し、その血で・・・。

 井上ひさしの若いころの一作。ぼくも大学生時代に読んだ。なつかしい井上ひさしワールドが目の前に舞台に生き生きとよみがえった。抱腹絶倒。思想深慮。七色の、しかし地に足着いた生活言語にいのちが吹き込まれ、軽やかに、激しく、過剰に舞踏し、いくつもセンテンス、段落を創造し、そこに脚本が出現する。

 作家が小説を書くとはどういうことだろうか。脚本を書くとは、演劇を作るとは。ちょうど今、ぼくの読んでいる本では、文学と革命ということが述べられている。プロレタリアート文学のことではなく、ルターやムハンマドらは、読むこと、書くことで、革命を始めた、いや、読み、書くことそのものが革命だ、ということが、豊富な知識、深い考察、聞かせる口調で語られている。

 憤(先生)が生み出すブン。ブンを生み出す憤。文学の主人公ブンは、作者の手を離れ、あちこちに現れ、あちこちで新たに生まれ、同時に、オリジナルからは、曲がったり、薄れたりもする。ブンは祈りや願いやメッセージや思想にとても似ている。ブンには牢獄をリゾートホテルにしてしまう力がある。

 舞台には、井上ひさし先生が生きていた。市村正親さん演じる大友憤、血で小説を書き続ける作家は、井上先生そのもの。新妻聖子さんが演じた歌唱力・表現力抜群の悪魔、和服の美しい女性のブンは小池栄子さん、インテリから悪魔の呼び屋まで何役も演じたいまやベテランの域の山西惇さん、チャプリンヒトラーを思わせるチョビ髭の警視総監は橋本じゅんさん、すばらしい。生まれ変わったら、役者になりたい。もっとも、彼らは、プロ野球で言えば、オールスター選手レベルだけども。

 ぼくは今、無限に広がる電脳空間の片隅で涎のような駄文を垂らしているだけだ。文は、やはり、印刷された文字として伝えられ、広がり、残されるのが良い。

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