「アンデスのリトゥーマ」(マリオ・バルガス=リョサ、岩波書店、2012年)
アンデス山中に配属された治安警備隊・伍長のリトゥーマ。
もと麻薬密売人のボディガードで、わけありの恋の逃避行についてしゃべり続ける助手。
外国からの“研究者”、旅行者、アンデス住民の生活向上のためという首都リマからの訪問者。
行方不明になった三人のアンデス住民、それぞれの人生。
インディオ“解放”を謳い、“抑圧者”を処刑にする若者や子どもたち。
山中の集落で、酒場を営むアンデス住民の夫婦。
ペルーでには、武力によって治めようとする政府と、それを打倒しようとする武装集団があり、アンデスの人びとは、両者に翻弄された。
ノーベル賞作家は、先住民から伝わるアンデス民衆の世界観にどこまで肉薄しているのか。それとも、リョサの想像の押し付けに過ぎないのか。
インディオの女性の言葉は、リトゥーマには野蛮な音楽にしか聞こえなかった。
男女の脂肪が抜き取られ、外国やリマに送られ、新しい機械を動かすのに使われるという噂。
「科学的な発明品を動かすには、ガソリンやオイルよりもインディオの脂肪の方がずっといいそうだよ」(p.206)。
出会ったばかりの頃、酒場の主人はやがて妻になる女性に彼の知識のすべてを伝える。「踊りはできたけど、どうすれば音楽の中に入り込み、音楽が自分の中に入り込むか、また、音楽に合わせて踊るのではなく、音楽が私を躍らせるようにするにはどうすればいいかを教わったんだ。歌にも自信はあったけど、歌に身を任せて、うたっている歌の僕になる方法を教えてもらったんだ」(p.281)。
このロマンチックな知識は、巻末で明らかになる夫婦の濃厚な考えや行動と切り離せないいるのか。
小説の進行時間と登場人物が語る過去の時間がたくみに折り重なるリョサの文学手法は、インディオの時間感覚に通じるものなのだろうか。