(46)「ジーザス・イズ・アワ・サンシャイン♪ 」

ユー・アー・マイ・サンシャイン♪ 有名なこの曲を少し日本語にしてみると、「わたしにとってあなたはおひさまの陽射し、あなただけがわたしの陽射し 曇り空でも幸せにしてくれる」といった感じでしょうか。

好きな人と言葉を交わせれば、その声を聞くことができれば、その人のことを思うだけで、冷たい冬の日でも、あたたかな陽だまりにいるようだ、ということでしょうか。もっとも、シェイクスピアという昔のイギリスの劇作家は、詩の中で次のように記しているそうです。「私の恋人は誰にも劣らず美しい。ただし、空に輝いている日や月ほどではない」。

 わたしたちの人生には闇のような場面があります。自分を苦しめたり困らせたりする人がいてストレスだったり、仕事や家族のことでうまくいかなかったり、自分のやりたいことが思うようにいかなかったり。

人生のそういう夕ぐれや夜を照らしてくれる光にはどんなものがあるでしょうか。「この世界の片隅に」や「ローグワン」を観に行ったり、痛快や感動の小説を読んだり、心が震えたり踊ったりする音楽を聞いたり、「汁なし担担麺」や(廻るものであっても)お寿司をいただいたり、尊敬できる優しく親しい友人と会ったり。たしかに、こうしたもののお蔭で、闇もある人生でもなんとか歩むことができるのでしょう。

聖書によりますと、イエスは「暗闇に住む民が見る大きな光」、そして、「死の陰の地に住む者に射し込む光」と言われています。当時、ユダヤの王は暴君で、それを批判した預言者ヨハネは投獄され、しまいには斬首刑にされたと言います。まさに「死の陰の地」です。わたしたちの生きている現代も、そのような不条理や理不尽が人生にはつきまといます。また、わたしたちは、心や体、仕事や家庭や人間関係、お金などのことで、痛んだり苦しんだりしています。まさに「暗闇」です。

 聖書は、二千年前も、現代も、イエスはそのような闇夜に射し込む光だ、というメッセージを送っているのではないでしょうか。二千年前の人は、イエスとの直接の出会いを通して、わたしたちは、聖書に書かれたイエスの物語を通して、イエスの光を受けている、と伝えているのではないでしょうか。