(45)「人生を変えてくれる人との決定的な出会い」

 プロ野球の圧倒的なホームラン・キング王貞治さんは、中学2年生の時、荒川博さんと出会い、左利きなのにそれまでずっと右打席に入っていたのを左打席で打ってみるように進言され、さっそく試してみると、特大二塁打が飛び出したそうです。これが、のちに王さんが読売に入団し、苦悩ののちに、荒川さんに助けられ、一本足打法を生みだし、868本のホームランを生みだす物語の序章だったのです。

 王さんのような偉大な人物ではなくても、わたしたちの人生には決定的な出会い、あるいは、大きな出会い、大事な出会いがいくつか数えられるのではないでしょうか。春子先生には小学校4年から6年まで教わりました。いまでも忘れないことは、社会の時間に、わたしたちこそが日本国の主人公であり、わたしたちは誰からも縛られてはならない人権を持っており、日本は二度と戦争をしてはならないと決心したのだ、と教わったことです。これらが、四十年以上経ったいまでも、沖縄の米軍基地と日本政府の姿勢、外国人らへのヘイトスピーチ、ヘイトクラム、さまざまなマイノリティの置かれた状況、わたしたちの態度を考える際の根本的な尺度になっています。もっとも、現在は、国民だけでなく外国人を含む住民皆が主権者だと考えていますが。

 聖書によりますと、イエスの四人の弟子たちは、はじめ、湖のほとりで声をかけられました。彼らは漁師だったのです。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」。彼らは、網と舟と父親を残し、「すぐに」イエスに従ったとあります。

 ほんとうに、「すぐに」従ったのかどうかは、聖書の記述からだけでは、判断しようがありませんし、カルト宗教やインチキ商売の勧誘を見ると、むしろ、「すぐに」従ってはならない、と考えるのが当然でしょう。

 大事なことは、そのときの反応速度ではなく、振り返ってみたときにわかる、その人の影響力ではないでしょうか。小学校六年生のわたしは、春子先生の教えに「すぐに」飛びついたというよりは、その場の感動、衝動だけに終わらない、普遍的かつ平易な価値観へと目覚めさせられ、それが深く浸み込んだのです。

 弟子たちにとってのイエスとの出会いも、物語として描けば「すぐに従った」となりますが、それよりも、その後の弟子たちに時間をかけて浸透していったイエスのメッセージや人格、イエスとの交わりの喜びの深さが、出会いの場面に前倒しで表現されているのではないでしょうか。