(31)「わたしはあなたを責めない。あなたの新しい道を行きなさい。」

「この馬鹿やろう。おまえはいったい何を考えているんだ」。こう怒鳴られる、とびくびくしていました。それまでの二十年間も、ことあるごとにこうでしたから。

大学に入学したもののまったく通学せずに一年が経ち、二年目の出直しにも失敗しました。もう退学してしまおう、でも、働き始める根性もない。そうだ、入試が簡単で進路変更の名目が立てられる大学の学部に入り直そう。ということで、父に手紙を書きました。

「手紙を読んだよ。お前がそう決めたなら、そうしたらよい」。父のこんな答えは初めてでした。おかげで、ぼくは21歳で大学に入り直し、人生を続けることができました。あのとき、ただ罵倒されていたら、ただ責められていたら、道は切り開かれなかったことでしょう。

その十数年後、今度は、そのとき属していたキリスト教の教派を脱会し、今のキリスト教団に移籍することに決めました。父は、息子であるぼくが同じ教派で同じ牧師をしていることを喜んでいてくれていたので、ここでも強く反対されるだろうと恐れていましたが、二度目の奇跡が起こり、「そうか、わかった」の一言だけでした。

何千もの「この馬鹿やろう」の群に、とつじょ迷い込んできた二つの「わかった」がぼくを救ってくれました。あのとき、罰せられなかったおかげで、あたらしい教団で牧師になり、すでに二十年になろうとしています。

聖書によれば、イエスのところにひとりの女性が連れられてきました。不倫をしたというのです。「妻は夫の所有物だから、そんな妻は石打の刑にしてしまえ」と言うのです。

けれどもイエスは女性に言いました。「わたしはあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」。

女性だけが不倫の罪を問われるのはおかしいと思いますが、ぼくには、イエスの言葉はこう聞こえます。

「わたしはあなたを責めない。罰しない。これからは、あなたの新しい道を行きなさい。わたしはその道を閉ざさない。いや、切り開こう」。