ぼくのような凡人には、マルクスやカントがどういう考えを持っていたか、読んだり、論じたりすることも難しいのですが、柄谷行人(からたに こうじん)さんは、マルクスを乗りこえ、カントに導かれて、世界革命を構想されるのですから、驚くべき天才です。
もっとも、世界革命とは国際連盟が変わっていくことを指します。そのためには、憲法九条が取っ掛かりとなります。
「たとえば、今後に憲法九条を実行するという政府ができたとします。憲法にそう書いてあるのだから、それは特に革命でもない。たんに国連総会でそれを宣言すればよい。今後、軍備の廃棄を実行する、まず、沖縄の基地からなくしていくという。そうしたら、日本は国連の中でどういう立場になるか。日本を無視することは絶対にできない。多くの国が支持するに決まっています。さしあたり、日本は安全保障理事会の常任理事国になるでしょう。しかし、軍事力を否定する国が安保理の中心になると、第二次大戦後にできた枠組みが根本的に変わってしまう。それは国連そのものを変えてしまうことになる」(p.217)。
ところで、柄谷さんは、人間には四つの交換様式があると言います。まずは、贈与と返礼です。つまり、互酬交換です。いただいたらお返しする、ということです。つぎに、略奪と再分配、あるいは、支配と保護です。支配者は民を支配する代わりに保護してくれる、民から奪ったものを少しだけ配ってくれるということです。それから、貨幣と商品の交換です。お金がなければモノは買えません。さいごに、最初に挙げた互酬交換が高度の形で現れるというのです。この四番目の交換様式を交換様式Dと呼んでいます。
さきほどの憲法九条と国連は、まさに、このDの話なのです。「贈与と返礼」の高度の形なのです。
「ぼくの考えでは、軍備の放棄、戦争の放棄は『贈与』です。贈与には力が伴う。それは武力よりも強い」(p.217)。
おもしろいことに、柄谷さんの考えには、キリスト教思想に通じるところがあります。ローマ帝国は、さきに挙げた二番目の交換様式、つまり、「略奪と再分配」「支配と保護」によって成り立っていますが、アウグスティヌスはそれを盗賊団と呼び、それに対抗するものとして、「神の国」を語ったと言うのです。「神の国」には交換様式Dが見られるということではないでしょうか。
もうひとつは、フロイトは「抑圧されたものの回帰」と言って、それは、人間の願望や自由意思に反する形で迫ってくるものなのですが(たとえば、負の例で言えば、トラウマの再来などもそうかもしれません)、憲法九条もまさにそうで、人間の作為を超えたものとして現われたもので、宗教で言えば、人間からではなく神の方から迫ってくることと同じだと言っているように読めました。九条とトラウマでは正反対のように思えますが、人間の意志を超えたものとしては、通じるところがあるのでしょう。
なお、これは著者の先著「世界史の構造」についてさらに論じた講演や対談を集めた一冊です。