(7)「キリストは神の力」

1:22-25

1:24しかし、ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、召された者にとっては、キリストは神の力、神の知恵なのです。

 キリスト者は十字架の刑を受けたイエスこそが救い主=キリストと信じるのですが、信じない人々にとっては、それはとんでもないこと、ありえないこと、愚かなことだろう、とパウロは言います。けれども、神さまから招きを受けて信じるようになった人々は、どんな民族や人種であっても、十字架につけられたキリストにこそ神さまの力と知恵を見出す、と言うのです。十字架はたしかに人の目からは愚かなことであり、弱さであるのですが、パウロはそれはあくまで「神の」愚かさ(1:25)であり、「神の」弱さ(同)なのだ、と訴えます。そして、キリストの十字架という出来事は「神の愚かさ」「神の弱さ」であっても、人間よりは「賢く」「強い」ことなのだと言うのです。わたしたちはいつも賢いとか愚かとか、強いとか弱いとかいう尺度で物事を考えてしまいますが、十字架は、それとはまったくちがう、新しい心を与えてくれます。

(※雑誌「百万人の福音」(2008年9‐12月)に掲載されたものです。新改訳聖書から引用しています。)