32 「『拮抗しつつ総体的には連携して難局に対処する』」

論文「軍事占領下における地域形成とキリスト教 ―――― 一九四〇年代の沖縄を事例に」(一色哲)(日本基督教学会編『日本の神学』49号所収 二〇一〇年九月十七日刊行)

 一色さんからいただいた抜き刷りを読みました。そこで学んだことのいくつかを記します。

1)沖縄のキリスト教にとって、沖縄を27年間軍事占領した米国の影響は大きい。

2)1945年以降、沖縄のキリスト教は沖縄の地域形成史において主導的な役割をした。

3)日本の諸教会は「戦火のなかの教会」として、しかし、沖縄の諸教会は「戦場のなかの教会」として歩んだ。後者の経験は前者のそれとは本質的に次元が違う。

4)沖縄のキリスト教会は戦前の伝道との断絶が見られる。「終戦」時に生き残った伝道者はわずか三名とのことである。伝道者や信徒の戦前の継続性がほとんどない教会もある。

5)米占領軍の将校・兵士など1945年以降の沖縄の支配者はキリスト教徒であり、彼らと沖縄との関係において、沖縄のキリスト教徒は大きな役割を期待された。

6)キリスト教は米軍との関係で利益を享受していた。

7)沖縄のキリスト教は米軍による占領体制のなかに組み込まれてしまっていた。

8)1940年代後半、沖縄のキリスト教には二つの潮流が生まれていたと考えられる。

9)ひとつは沖縄民政府(1946年4月に設立された沖縄の行政機構)の関係者で、キリスト教の文化的な面を用いて沖縄の戦後復興を考えた人々で、米軍と強くつながっていた。一色さんはこれを仮に「文化再建派」と呼んでいる。

10)もうひとつは民政府と一定の距離を保ち、政治の力に頼らずに、自立した伝道を目指した人々で、一色さんはこれは仮に「伝道派」と呼んでいる。

11)そして、現在の沖縄の福音派の諸教会は「文化再建派」の流れにあり、反戦・反基地などの運動に連なるキリスト者は「伝道派」の流れにある、と一色さんは推測している。

12)けれども、この論文の最後の数行が読者であるわたしには重大な問題提起に思える。

「軍事占領という例外状態のなかでは次々と予測もできない事態が起きてきた。沖縄のキリスト教はこうした事態に直面すると、その都度二つの相反する立場が並び立ち、それぞれが拮抗しつつ総体的には連携して難局に対処するという行動形態をもっている。沖縄では、それぞれの立場の人びとは決して敵対的な関係にあるのではない。むしろ、お互いにお互いを意識し合い、気遣ってさえいる。こうした立場を越えた異なる潮流の教会・信徒の併存が、沖縄キリスト教の活力を生んできたといえるのではなかろうか。」(p.46)